2013.01.13

「体罰」問題、今日の花も

 大阪の私立高バスケット部の生徒が「体罰」が原因と思われる自殺に至った事件が報道されている。私は、かねてより、教育の場において「体罰」という言葉を使うことに反対だ。一切の体罰に反対する立場で、教師が生徒に対して行う肉体的暴力行為を「体罰」ではなく「暴行」と呼ぶべきだと考える。教育現場においては、教師による一定の「懲戒権」が認められるべきだとは思う。例えば「立っていなさい」とか「教室から出て行きなさい」から始まり、停学、退学処分などがそれにあたる。
 懲戒の権限は学校教育法第11条に以下のとおり規定されている。 「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

 にもかかわらず、教育の場における体罰の是非に関する議論が未だに継続している。程度問題ではないか、愛情に基づく指導であれば認められるのではないか、スポーツの場では奮起を期待する体罰はむしろ有効などの理由から。そして、体罰を受けて大人になった人たちからの、憧憬をこめた発言が、擁護論の大きな根拠になる。

 しかし、学校は聖域ではないし、教師は聖職者ではない。そして、情報が極めて非対称的な場である。度重なるいじめを原因と思われる自殺事件で、学校当局、つまり教師集団が如何に事実を隠ぺいし、嘘で塗り固めた情報を発するところであるかが、図らずも明らかになった。学校とは、教師とはそういう場であり、そういう集団なのだ。その場での「体罰」の意図とか程度とかを論じることは笑止と言わなければならないと、私は思う。「あんたたちにそんな裁量権を与えたら、何をしでかすかわからない」ということだ。

 暴力行為を「体罰」と呼ぶから、例えば該当教師が親に頭を下げるなどの謝罪で一件落着したりする。「暴行」であれば、それは刑事事件だ。暴力をふるう教師は、すべて学校という閉じられた空間から引きづり出して、司法の被告人になるべきだと、私は思う。そうでなければ、今回のような事件は決してなくならない。

 学校における暴力が子どもの権利条約でどのように規定されているのかと調べてみたが、意外にもその条項はなかった。関連すると思われるのは19条で、以下の通り述べている。「締約国は、児童が父母、法定保護者又は児童を監護する他の者による監護を受けている間において、あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取(性的虐待を含む。)からその児童を保護するためすべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。」教育現場が親による監護の委託だと考えれば、これに含まれるということか。

 重要なのは12条だ。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」一体、学校で子どものこの権利が保証されているだろうか。権力によって子どもを服従させるような教育現場で「体罰」の良し悪しを論じることはナンセンスと言わざるを得ない。

今日の花です。

 

花を生け始めたところに、ケアワーカーのMさんが、成人式帰りに施設に寄ってくれました。入居者のKさんとのスリーショット。

下のほうで黄色く見えるのがシンビジューム、超特価だったので、コデマリと合わせようと思って買ってきたのですが、先週の2種の百合がまだ元気でつぼみを蓄えていたので、それも使いました。

赤いのがユーホルビア、他に菜の花、レザーファン、先週使った梅の枝がきれいに咲いていたので、それも使いました。

先週使った日本水仙に菜の花とアンスリュームを加えました。

ガーベラ、スプレーバラ、コデマリです。

今週は、妻が、花器を入れる物置の整理をしていたので、久しぶりに全部私が生けました。出来栄えはいかが?