2013.11.04

「私は負けない」(村木厚子著)、昨日の花

 「私は負けない『郵政不正事件』はこうして作られた」(中央公論新社)を読んだ。現厚生労働事務次官、村木厚子さんの特捜との闘いの記録と言っていいだろう。この本を読めば、「いくら取り調べが厳しいからと言って、やっていないことをやったというのは、弱い人間だからだろう。ましてや、上司(村木さん)の指示でやったと嘘をついて自分の責任逃れをするのは、如何にも卑怯な人だ(当時の係長)」というごく自然な受けとめ方(私もこの事件以前はそう思っていた)が、それはまったく違うということが、本当によくわかる。
 村木さんの事件では、係長、村木さんを含めて10人の関係者が聴取を受け、その半数の5人が事実と異なる調書に押印した。この事件では、証拠のねつ造が大問題になった。それは確かに信じられないことであり、有罪にするためにそこまでやるのかと、検察への信頼は地に落ちたが、本質的には、証拠よりも調書が重視される裁判のあり方、その聴取が密室で行われることが問題だ。

 ある検事は、前田検事によるフロッピーディスクの改ざんに関して、同僚に次のような驚愕のメールを送っている。「ブツを改竄するというのは聞いたことがないが、一般論として、言ってもいないことをPS(調書)にすることはよくある。証拠を作り上げたり、もみ消したりするという点では同じ。前田さんを糾弾できるほどきれいなことばかりしてきたのかと考えるとわからなくなる」(P205)なんと、供述していないことを調書にすることは「よくある」のだ。

 村木さんは次のように述べている。「検察というのは、「本当はどうだったのか」ということには何の関心もないのだな、と感じました。それより、自分たちの冒頭陳述を守ることに全力を傾ける。途中で新しいことがわかっても、自分たちのストーリーと違えば、一切無視して、自分たちの物語だけを守っていく。つまり、真実はどうあれ、裁判で勝つことだけが大事というのが彼らの行動原理だと、よくわかりました。」(P93)まさにこのことが、この本で明らかになっている。係長は、取り調べに際して、自分の単独犯であることを強硬に主張している。しかし、最初から村木課長(当時)に狙いを絞っていた特捜は、一切聞く耳持たず、拘束延長をちらつかせ、他の関係者はみな課長の介在を認めているなど、巧妙に誘導し、逃げ場をなくして、うその供述を引き出していくのだ。

 そこまでやるのか、あまりにひどいというのが、読後の感想だ。現在、法制審議会の特別部会で、検察改革について話し合われている。村木さん、それに「それでもボクはやってない」(痴漢冤罪事件を題材にした映画)を作った周防正行氏も委員として議論に加わっている。彼らが、取り締まりの全面可視化、全面証拠開示(検察にとって不都合な証拠は裁判で開示されないなどということも、私は知らなかった)を求めるのに対して、検察関係者は、頑強に反対し、なるべく少ない改革ですまそうとしている。

 周防さんは、この本の中で「10人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」という理念を掲げています。全面的に賛成です。「疑わしくは罰せず」というのは、真犯人を逃す「覚悟」が必要です。しかし、どうしても、「ある程度疑わしければ罰することにしなければ、犯罪者が町をかっ歩することになってしまう」という不安が、「疑わしくを罰する」ことにつながり、冤罪を産むことにつながっているのです。

 起訴後の有罪率99%という中で、村木さんは本当にラッキーだったと言わざるを得ません。しかし、自白偏重の司法制度の中で、今も、冤罪事件が起きています。村木さんがこの本を出したのは、事件を風化させず、改革を少しでも前進させなければという、止むにやまれぬ思いでしょう。私たち一人ひとりが問われています。

 さて花

            トルコキキョウ、孔雀草、ドラセナ、先週のアブライト

     ガーベラ、ストック、利休草、先週使った百合、トルコキキョウ、アブライト

               題「クリスマスには早いけど…」

              コチア、グロリオサ、コットン、杉

                 水仙、万両、ユーホルビア