2013.03.04

一日一花

 (勝手に)師と仰ぐ川瀬敏郎氏が「川瀬敏郎一日一花」という本を出した(新潮社)。氏は、東日本大震災の後、生まれて初めて花を手にすることができないでいたという。しかし、ひと月後に、テレビニュースで剥きだしの大地に草が萌え、花が咲く、被災地の遅い春を映しており、花をながめる無心の笑顔が映し出されていたことがきっかけになって、「一日一花」を始めたという。被災地に対して、この国の「たましいの記憶」である草木花をたてまつり、届けたいと願ってのことだ。(あとがきより)生けられた花は毎日ネットで配信された。この本は、それを出版したものだ。
 すべて「なげいれ」の作品だ。なげいれについて、彼は次のように言う。「なげいれの花は、心にとまった花をさっと掴み、さっと水に放つもの。花そのものだけでなく、その背後にあるなにものかをすくいとることが大事で、そこに、わずかに、人為の余地があります。」「日本という国の祖型は、いまでも、人為の及ばない自然ではないかと、私は考えています。『素』の美しさをとうとぶ心情も、そこに由来するものでしょう。草木になかば埋もれるような暮らしの中から生まれたなげいれは、素の花です。人為を加えず、草木花のおのずからなる姿をめでる花。「素とは足すことも引くこともできないものです。1年間366日つづけた「一日一花」で私がこころがけたのは、素の花といういわばぎりぎりの姿に、自分のいける花が、人為を尽くしつつ、それでもそれでも近づくことができるだろうか、ということでした。」

 私は、この分厚い本を枕元に置いて、寝る前の数分間、数ページをながめることをしばらくの楽しみにしようと考えた。しかし、それは無謀なことだった。どの一花も、素の花と彼の人為が勝負をしている。その結果、「足すことも引くこともできない」ギリギリの姿がそこにあり、緊張の息遣いが伝わってくる。とても睡眠薬代わりに見るものではなかった。まさに「鎮魂花」である。

七十二候は、3月1日から24節気雨水の末候「草木萠動」(そうもくめばえいずる)が始まっています。昨日、今日は逆戻りしていますが、その前2日間は、まさに暦どおりの陽気でしたね。

さて、川瀬敏郎と比べるべくもないが、昨日の花です。

枝は白桃、先週使ったカサブランカ、ミモザ、タニワタリ、これも先々週から使っている雲竜柳

ど派手になってしまった。二輪のダリア(一輪は右側にあるのだが、隠れて見えない)をメインにバラ、麦、コデマリ、先週使ったバラがまだ元気だったので、もったいなくて捨てられず、「えーい、超豪華版で行ってしまえ」と、こうなった。

                 バラ、コデマリ、カーネーション

      トルコキキョウ、バラ、コデマリ、スマイラックス、先週使ったチューリップ