2013.08.09

内閣法制局長官人事

 安倍首相が、集団的自衛権の行使を合憲化するために、内閣法制局長官人事を行なったことが大きな話題になっている。(そうでもないか!?国民の多くはほとんど無関心なのかも)
 少し前には、麻生副総理の妄言にまったく関心を示さない安倍総理の姿勢にがっかりしたばかりだったが、この人事も、まったく筋が通らない。目的の遂行のためには、無理筋も通してしまうという姿勢は悲しい。こうして、国家の品格は、地に落ちていくのだ。

 日本には憲法審査の第3者機関としての憲法裁判所がない。最高裁判所には違憲立法審査権が存在するが、これは具体的な事件で裁判がおこなわれる際に、その事件に関わる憲法判断を行なう。アメリカも日本に近い制度のようだ。これに対してドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア…など多くの国では、法律の合憲性を審査する独立機関、憲法裁判所を持っている。ウィキペディアには各国の憲法裁判所の裁判員の任期、選出方法などの一覧が出ており、それによると任期は概ね10年程度であることがわかる。任期の長さには意味があるように思える。人選に当たってはどうしても政権と国会の勢力図が大きな影響を及ぼすことが避けられない。もし、任期が短期であるなら、時の政権党が自らの政策を実行する上で有利な偏った人選を行なおうとするだろう。しかし、任期が10年となれば、その間に政権が変わる可能性が高い。であるならば、短期的な政権の利害よりも、より公正、妥当な人選に努めようという良識が与野党を支配する可能性が高まるということではないか。  

 日本はこの役割を内閣法制局が担ってきた。間接的とはいえ国民が選ぶ憲法裁判所がこの国にないのは不幸なことだと言えよう。しかし、この国の民主主義の成熟度からすれば、時の政権が恣意的に無理筋を通す人選を自由に行なうようなことが充分想定され、その意味では、憲法裁判所の役割を官僚に委任してきたことは、逆説的ながら正解だったのかもしれない。実際、戦後のほとんどの時期を「改憲」を党是とする」自民党が政権を担い、憲法解釈で集団的自衛権行使の容認を求めた首相もいたが、内閣法制局は一貫してこれを否定してきた。今朝の朝日新聞で、元内閣法制局長官が明快にその歴史を述べている。 

 日本に憲法裁判所があり、例えばその裁判員の任命権が首相にあるというなら、それが露骨な人事であったとしても、文句は言えないだろう。自民党をこれだけ大勝させた国民の意思とも言えなくはない。しかし、内閣法制局は違う。歴代、長官はプロパー職員が就任してきた。それは、議論の蓄積を何より重視し、政権党の意向に左右されない第三者性を担保するためだと言えよう。内閣法制局とはそういう組織なのであり、そこに人事で介入する非常識は、歴代のどの政権も思いつかなかったのだと思う。

 安倍総理はいとも簡単にそれをやってのけてしまった。しかし、何十年もかけて確立してきた憲法解釈を、本当に長官を代えただけで変更できるのだろうか。多くの職員は唯々諾々と自説を変えるのだろうか。そんなことはプライドが許さないだろうと思うが、思い返してみると、つい最近、日銀でそんなことがあった。金融緩和に反対してきた幹部が総裁が変わったとたんに、いとも簡単に自説を捨てて寝返ったあの醜態。法制局も同じことになるのだろうか。

 この人事で集団的自衛権行使の道が開かれるのかもしれない。確かにそれは安倍総理の悲願だろう。しかし、そのために、大切に守られてきた内閣法制局の憲法審査の公正性を捨て去ることは、政治家として決してやってはいけないことだということがどうしてわからないのだろうか。