2017.12.08

歴博に行ってきました。

明後日で終了する企画展、「「1968年」無数の問いの噴出の時代」に行ってきました。10月からやっていたのですから、いくらも時間はあったはずですが、なんやかやで行けず、終了が迫ってきたので、平日に半休をいただいて、ようやく行ってきました。私たちの年代では、「1968年」というのは、特別な響きがあります。まさに、その響きに応えた企画でした。

第1部「「平和と民主主義」・経済成長への問い」は、第1章「ベトナム反戦とべ平連運動」2章「神戸の街から」3章「三里塚闘争」4章「熊本水俣病闘争」5章「横浜新貨物線反対運動」5章では、私も発行にかかわった「月刊地域闘争」も展示されていました。私は、この雑誌の関東編集局の事務局員でした。

そして第2部は「大学という「場」からの問いー全共闘運動の展開」、第1章「1960年代の大学」2章「全共闘運動の形成と展開」3章「大学闘争の全国展開」4章「闘争の鎮静化と遺産」

私が大学にはいったのは1969年、その年の1月18、19日の2日間にわたって、学生たちが占拠していた東大安田講堂の機動隊との攻防戦が繰り広げられ、生中継されたテレビに多くの国民の目が釘付けになったのです。その年、東大の入試が中止になりました。

4章の最後に、次の記述がありました。長いですが、引用します。

「全共闘運動は、それぞれの学生・院生・助手などが自分がおかれた「場」を拠点として、その場をめぐる教育や研究の具体的状況・問題性をいかに変革するか、個々の闘争主体として取り組んだ運動である。それゆえ、「知」のあり方をめぐる大学のあり方を総体的の問うた根源的な運動としての側面と同時に、自己の「学」のあり方をえぐる、その意味での自己構築としての自己否定の運動=自己の「生」の主体化という側面が両輪の関係として展開した。したがって、具体的な目標獲得を目指した住民運動などとは異なり、運動は不可避的に永続化し、大衆的運動の維持は困難を伴わざるを得なかったが、「知」と「生」への問いを突きつめ掘り下げる体験をくぐった人々の運動は、大学のなかで、そして社会に出てからも粘り強く続いた。運動は地域社会に根をおろし、目立たないが、しかし無視できぬ、影響力を持ち続けた。(荒川章二)

「荒川章二」をネットで検索すると、歴博教授で1976年に早稲田大学を卒業している。同時代人だ!上記の文章のみならず、企画展の色合い自体、「1968年」への憧憬、共感を強く感じました。青臭いといわれることを承知で告白すれば、私が今あるのは、まさに荒川教授が書いた脈絡だという思いで、歴博を後にしました。

花入れは、クリスマスが終わるまで休止です。

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