2013.01.25

生活クラブと私 24 事業統合後の生活クラブ風の村

 だらだらと書き連ねてきた、このシリーズは今回でとりあえず終了にしようと思う。
 2004年に生活クラブ生協で行なってきた訪問介護、デイサービスなどの事業を社会福祉法人たすけあい倶楽部に移管し、名称を社会福祉法人生活クラブに改めたことは、「23」で述べた。それ以後は、現在までただ目の前のことに対応すべく、ひたすら走り続けてきたように思う。以前にも書いたが、ここまで事業を広げてくるうえで、明確な戦略を持ったわけではない。KさんとMさんが、わらしこ保育園の経営を引き継いでほしいと訪ねてこなかったら、保育園事業は未だにやっていなかったかもしれない。2007年に創った在宅総合支援拠点「風の村さくら」は、ある職員の親類の方の所有地を安く買ってほしいという話が舞い込んだことから構想したものだ。その際、建物の一部をお貸しするということになっていたNPOあかとんぼ福祉会から、事業を引き継いでほしいという要請があったことから、「とんぼ舎」「あかとんぼ土浮」が生活クラブの事業になった。この偶然がなければ、障がい者支援事業への取り組みはずっと遅れていただろう。

 もっとさかのぼれば、生協の研修施設「風のロッジ」の泊りがけ理事研修の夜、地主の飛田洋さんとの酒盛りの席で、彼が自分の土地を譲渡してくれると言わなければ特養八街はできなかったし、社会福祉法人生活クラブ自体が存在していない。

 ?生活科学運営の社長との出会いがなければ、ライフ&シニアハウス市川も高根台つどいの家もないし、URとの付き合いはそれらによってできたのだから、いなげビレッジを作ることもなかったことになる。

 そう考えると、私が戦略的に進めたのは、94年にたすけあいネットワーク事業を開始したことくらいかもしれない。あとは、とにかくいろんな人に出会う機会を意識的に作ってきたから、その人脈の広さだけは自慢できる。

 今年始まる児童養護施設も重心通所施設も、人との出会いがなければ構想することがなかった。

 おそらく、今後もそういうふうに進んでいくのではないかと思う。しかし、これまでとは異なる動きが目立ってきており、私は当面その動きに身を任せていこうと思っている。それは、事業所の現場から地域ニーズに沿った新規事業計画が打ち出されるようになったことだ。昨日の所長会議で、それを強く印象付ける出来事があった。新規事業を構想してきた流山介護ステーションのT所長が、「さまざまな事情で当初考えたより大規模な施設になり、もしかしたら、法人の経営に悪影響を与えることになるかもしれない。そうならないように全力で努力するので、どうかみなさん、私たちを支えて下さい。」と訴えたのだ。

 高根台の半日デイと小規模多機能ホームのサテライト事業、柏の障がい者グループホームもづくりも、構想に私は全く関わっていない。

 これからは、こういうパターンの事業が増えていくだろう。私の仕事はどんどん軽くなる。軽くなった分、何をしようか。