2013.06.29

若林顕の「エリーゼのために」

 「ラララ、クラシック」というテレビ番組を知っていますか。作曲家、加羽沢美濃と、作家、石田衣良の2人がキャスター、毎回ゲストを迎えて、割と有名なクラシック曲を紹介する番組です。いつもビデオで見るのですが、今日はオフ、何週か分をまとめて視聴しました。その一つが「エリーゼのために」、ご存知、ベートーベンの超有名な小曲です。
 番組の最後に、有名な演奏家によって、その週に取り上げた楽曲が演奏されます。この日は、ピアニストの若林顕、結構名が通った人のようですが、私は知りませんでした。そして、これまで聞いたどの「エリーゼのために」とも異なる新しい感動がありました。

 まず、一貫して「静か」です。ピアノもあればフォルテもあり、その意味では音の強弱は確かにあるのですが、でも一貫して「静か」なのです。ピアノであろうがフォルテであろうが一音、一音を慈しむように、拡散しないように、そっと鍵盤に触れるので、彼の意図に応えるように、音は「静かさ」を保って、ピュアに凝縮した音色を発するのです。彼自身が、作曲家の曲への思いを届けるためには、一音、一音を大切にしなければいけないコメントしています。多くの演奏家が同じように考えているでしょう。しかし、すべての音符にそれが行きとどいている演奏は滅多にないのではないでしょうか。思うに、「うまく弾こう」と思っていないのではないか。その邪念が混じるときに、音は作曲家の意図を離れてしまうのではないでしょうか。作曲家の意思と演奏家の意思が混ざって、音の純粋さが損なわれてしまうと言ったほうが良いかもしれません。しかし、彼は最後まで「うまく弾こう」とはしませんでした。作曲家が譜面に示した音符に忠実に、音を紡いでいました。卓越した技量がそれを可能にしていることは間違いありません。

  「こういうベートーベンもあるんだ!」生で聞いてみたい。

 彼の公式サイトを開いてみて笑いました。プロフィルに「日本を代表するヴィルティオーゾピアニスト」とあったのです。「ヴィルティオーゾ」とは、「完璧な演奏技巧によって困難をやすやすと克服することのできる、卓越した演奏能力の持ち主に対する称賛の言葉」(ウィキペディア)

 クラシックアーティストのプロフィルには、実は一風変わった慣習があります。例えば、「〇〇でのリサイタルを開催、大絶賛をはくす」とか「△△コンクールで優勝、一躍注目を浴びる」とか。事務所を構えてスタッフを抱えるような大物でなければ、プロフィルを書くのは多くは自分自身です。他の業界で、プロフィルにこうした自惚れ的な文が入ることはまずありません。「著書は〇〇、△△、??など多数」とはあっても、「〇〇は百万部を突破、全国の注目を一身に浴びた」などというプロフィルは見たことないでしょ。クラシック以外の音楽界でもあまりこんなことはないのでは。自分を褒め倒す、この文化は笑ってしまいます。

 それにしても、自分のことを「ヴィルティオーゾ」と言ってはばからない感性にかなり引きましたが、エリーゼを聞いた直感を信じて、一度、演奏会に行ってみることにします。