2018.03.05

西部邁と昨日の花

西部邁といえば、「保守」の論客、左派の学者諸子からは論敵とみなされてきました。右翼研究者からも距離を置き、孤高を保ってきました。その西部氏が自死しました。私の枕元には、西部氏の著作「ファシスタたらんとした者」「保守の真髄」があります。彼の自死のニュースは、「ファシスタたらんとした者」を読んでいる最中に飛び込んできました。氏は、同書のほかでも、死が迫っていることを公言しており、覚悟の自殺でした。

「保守の真髄」の42ページに次の記述があります。長いが引用します。

「必要なのは、理想を内包する現実であり、現実に裏付けられた理想なのである。つまりここでも理想と現実の間の平衡が要求されるわけだ。その平衡に抽象名詞を与えてみれば、自由と秩序の平衡はバイタリティ(活力)、-ここで社会秩序を作るのも、人々の活力によってだということに留意しておかなければならないー、平等と格差の平衡はフェアネス(公正)、博愛と競合の平衡はモデレーション(節度)、そして合理と情操の平衡はボンサンス(グッドセンス、良識)ということになろう。このことをしっかりと押さえておけば、国家の玄関や床の間に掲げられるべきノーム(規範)のスローガンは活力・公正・節度・良識の4幅対だということになる。」

お分かりのように、これは、フランス革命で生まれ、近代主義、資本主義の「規範」となった、「自由・平等・博愛・合理」に対する氏の対案です。

また、以下は、東工大教授、中島岳志が毎日新聞に寄せた追悼文の一部です。

「西部はリベラルな精神を保守思想の文脈に位置づけ、両者を相互補完的な存在と見なしていた。保守は人間に対する懐疑的見方をとる。左派的な近代主義者が、人間の理性によって理想社会を構築できるという進歩主義をとるのに対して、保守は人間の理性の不完全性を前提に、歴史的に継承されてきた集団的な経験知や良識を重視する。人間は間違いやすく、誤認をくり返す。誰も正しさを所有できない。もちろん、自分もその例外ではない。懐疑主義的人間観は、自己にも向けられる。

 そのため保守は、他者との対話を重視する。自己の誤りに謙虚になり、他者の言い分に耳を傾けるのが保守のとるべき態度に他ならない。ここに保守とリベラルの補完関係が成立する。 」

西部氏を受け継いで中島氏が標榜する「リベラル保守」が、今の私の立脚点です。

さて、昨日の花です。4日前にぎっくり腰(といっても、比較的軽度)になったため、八街には一緒に行きましたが、全部、妻が生けてくれました。腰痛はだいぶ良くなっています。

カラー、アリストロメリア、コデマリ、雪柳、ルスカス、ハラン

クレマチス、アイビー、ヒペリカム

ガーベラ、スイトピー、ヒペリカム、カスミソウ

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