2011.12.02

福井の事件の再審決定に思う

 25年前、福井市で女子中学生が殺害された事件で、犯人とされた前川彰司さん(46)の再審開始が決定された。無実であることが確実であるような新証拠がなければ再審が認められることはない。名張毒ぶどう酒事件、足利事件、布川事件などは本当に稀な例であり、いったい、何人の人が身に覚えのない犯罪の加害者の汚名を着せられたまま絞首台に登ったのだろうか、その無念を思うと言葉がない。

 村木厚子さん事件の最大の成果(?)は、警察、検察は一旦犯人と推定した容疑者を有罪にするためには、証拠を捏造することさえも平気でするということを、多くの国民が知ったことだ。それまでは、「いくらなんでもそこまでは」と多くの人が思っていたはずだ。事実は衝撃的だった。冤罪を生む構造が白日のもとにさらされたのだ。

 「疑わしきは罰せず」が司法裁判の原則と言われながら、未だに自白偏重の体質が変わっていない。今や、それが、表に出ない膨大な数の冤罪を生んでいると考えざるを得ないではないか。取り調べの全面可視化は何としても実現すべきだと、私は思う。

 「疑わしきは罰せず」を厳密に運用すればどうしても、罪を犯したのに罰されないケースが増えるというリスクを伴う。極論すれば、私たちは、罪を犯したのに断罪されないことと無実なのに犯人とされることのどちらを良しとするかを、社会システムとして選択することが求められているのだと思う。それが「民主主義」ということだ。