2012.01.20

生活クラブと私17 高齢者施設建設準備会?

本当に久しぶりにこのシリーズを書く。

 「自分が住みたい施設を創る」を基本理念に始まった高齢者施設建設準備会は、とにかくいろいろな施設を見学することから活動を開始した。当初、私たちは特養とケアハウスを併設する予定だったので、その先進例を中心に訪ね歩いた。全室個室にすべきという考え方は準備会メンバーの中で最初から一致していた。当時、そういう施設は国内にはほとんどなかったが、富山県に「おらはうす宇奈月」という特養があることを知り、見学することになった。

 生活クラブ風の村が今あるようになるには、いくつものポイントになるイベントがあるが、おらはうす宇奈月との出会いは、その中でも最大級と言って間違いない。それは、私たちが抱いていた特養のイメージをあっさりと覆した。当時の多くの人のイメージは養老院と呼ばれていた頃のものだったし、私自身もそれに近かった。2003年に全室個室ユニット型の「新型特養」が制度化され、現在、全特養の2割強が新型特養になっているが、その原型は、間違いなく1994年にできたおらはうす宇奈月である。素晴らしいハードと、豊かな生活を営む入居者の様子に、私たちは言葉にならない感動を覚えた。「こんな施設にしたい」、それは見学したすべてのメンバーの思いだったと思う。

 私は、この施設の設計者に私たちの施設設計をしてほしいと強く願い、施設長に設計者の名を尋ねると大学の教授と厚生省の研究所に在籍している人の名前を教えてくれた。大学教授が先輩格になるらしい。私は、どちらに連絡を取るべきか悩んだ。この選択を間違えていたら、その後の展開は大きく変わったかもしれない。迷った末、私は、年の若い厚生省研究所研究員の外山義さんに、熱烈なラブレターを書いた。おらはうす宇奈月を見学して如何に感動したかを綴り、建設準備会のアドバイザーになって欲しいと懇願する手紙を。その後、研究所を訪れ、直接お願いし、快諾を得ることになる。

 外山さんとの出会いがなければ、今の生活クラブ風の村はない。私たちの最大のラッキーと言って間違いない。実は、外山さんはこの当時既に、この業界では気鋭の福祉施設設計者として頭角を現していた人だったが、それを知るのはずっと後のこと、何も知らず、ただただあのおらはうす宇奈月を設計した人に指導してほしいという一念で懐に飛び込んだのだった。

 この成功は、その後の私の仕事の仕方にも大きな影響を与えた。一言で言えば、「求めよ、さらば与えられん」ということだ。この場合、「求める」というのは、ただ心の中で願うという意味ではない。「可能なあらゆることをやりきる」ということだ。そうすれば必ず道は開ける。私はこれ以後、この信念を持って新しい事業を創ってきた。

 2002年に、本当に突然亡くなってしまわれた外山先生に、あらためて心からご冥福を祈ります。