2012.04.13

今朝の朝日新聞オピニオン

 今朝の朝日新聞のオピニオンは「政権を出た派遣村村長」と題して、反貧困ネットワーク事務局長、湯浅誠さんへのインタビューを掲載している。

 湯浅さんは、民主党政権下で2度、内閣府参与を務めたが、先月、2度目の辞任をした。辞任にあたっての長文のメッセージを先日このブログで紹介したが、このインタビュー記事は、その要約と言っても良いだろう。

 湯浅氏の内閣府参与就任にあたっては、批判の声も聞かれた。インタビューする記者も「お話を聞いていると、湯浅さんは政権に取り込まれてしまったのではないかと思ってしまいます」と、そうした批判を代表するような問いかけをしている。これに対して彼は「はい、良くそう言われます。」「こういう社会を目指す、という原則を持っていることは大事だし、政権批判も大いにやるべきです。しかし原則的な立場を堅持していれば原則が実現するわけではない。課題によっては調整や妥協をしながら取れるところを取っていく。そこは二正面作戦だと思います。」と述べている。

 私は湯浅さんの言葉に全面的に賛成だ。社会運動たるもの、あるべき原則を主張し続けなければならない。それが通らない場合は、聞く耳を持たない政府や自治体が悪いのであり、それを批判することが運動側の役割だ。安易な妥協を画策することは運動への裏切りである、という考え方が、長くこの国の社会運動業界を支配してきた。しかし、社会は、さまざまな利害対立の調整結果として成立しているのであり、新たな政策を実現するためには、関係者の利害調整が不可欠である。

 私がそのことを実感を持って認識したのは、「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県条例」成立に到る運動の過程だった。障がい者への差別を禁止する国内初の条例が、2006年に千葉県議会で成立した。私もその制定運動に多少かかわった。障がい者差別という大きなテーマに対しては、さまざまな利害関係者が存在する。差別される障がい当事者、家族はもちろん、学校、企業、交通機関、サービス業界、医療機関など、差別する可能性がある当事者は無数だ。障がい当事者も一枚岩で条例の成立を求めるわけではない。この条例案は、差別行為への罰則をあえて盛り込まなかった。それが「生ぬるい。こんな条例をつくっても差別はなくならない」と主張する人たちもいるのだ。そして、それら利害関係者が、それぞれ県議会各派にロビー活動を行う。

 県庁職員は、これら利害関係団体のもとへ昼夜、平日、休日を問わず、精力的に説明に回った。成立をめざす市民、障がい者、支援者も県議のもとに日参し、県民の理解を得るために、各地でタウンミーティングを開催した。

 日本初の条例が全会一致で成立したのは、こうした官民一体になった粘り強い活動の結果であり、理念が正しいからということではないのである。

 民主主義とは市民自身が利害調整に参加し、汗を流すことによってしか、確立できない。

 今、この国の政治は「決められない症候群」に陥っており、国民が政権交代に託した願いは、見るも無残な失望に変わってしまった。しかし良く考えて見れば、それだって衆参ねじれ状態という国民の選択の結果ではないか。民主党が、実現不可能なマニフェストを掲げてやみくもに政権交代を図ったと同じように、今、自民党は、総選挙ー政権奪還を優先して国益を危うくしている。こんな政治家、政党の水準でねじれ状態になれば、大事なことが何も決まらないのは、ある意味当然のこととも言える。

 そんな状態だから、橋下徹氏のような人が救世主のように見えるのだ。ヒットラーのような独裁者が登場してくる典型的な図式である。観客民主主義という言葉があるが、国民が民主主義の担い手であることをやめて、芝居の観客のごとく、役者の出来を批評している状態を言う。

 湯浅さんは、次のように警鐘を鳴らしている。「橋下さんが支持を集めているのは、『決めてくれる人』だからで、その方向性は問われません。『お任せ民主主義』の延長に橋下さんへの期待がある。(中略)決定に至るまでの調整を誰かにまかせて、観客のような、評論家のような気分でいるという点では、橋下さんを支持する人たちと社会運動はともすると同じ図式の中にはまり込みかねない。どちらも民主主義の形骸化という意味で問題です。」

 まったく同感だ。彼にとって政権内にいるか外にいるかはどうでもよいことだ。その時点で利害調整にもっとも有効な位置にいるということだろう。社会運動業界は、まさに危機的なこの国の状況を打開するために、自らのスタンスを見直すことが求められている。