2012.05.04

生活クラブと私20 高齢者福祉施設「風の村」完成

 2000年2月、高齢者福祉施設「風の村」がオープンした。

 1995年から5年間準備してきた施設がついに完成したのだ。設計監修をして下さった、故外山義、京都大学大学院教授に指導していただき、福祉の素人集団が、暗中模索、徒手空拳で議論を積み上げてきたものが形になり、実際に入居者を迎えて24時間365日の生活が始まるのだ。私の42年に及ぶ生活クラブの歴史の中でも、もっとも感動的な出来事だった。

 しかし、現実は甘くなかった。実際には、多くの課題を抱えての出発であり、遠からず、それらの課題が露呈し始めるのだった。私自身は、オープン少し前から、大きな課題を感じ始めており、何とか早期に解決しなければ運営が息詰まると危機感を持っていたのだが、処々の事情ですぐに手をつけることができなかった。

 風の村は、オープン後3年くらいは、表面的にはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、見学者は年間3000人に及んだ。外山先生のご指導で、全国にほとんど例がない個室・ユニット型特養として誕生したのだが、厚労省は、2001年以降、新設する特養は個室ユニット型を基本とすることを決定、同省のホームページには、風の村の平面図がモデルとして掲載された。だから、特養を新設しようとする事業者は、全国各地からこぞって風の村の見学に押し寄せたのだった。

 私たちは、素人だからこその発想で、特養の常識をハード、ソフトの両面で打ち砕いた。「自分が住んでも良いと思える施設をつくる」「もう一つの我が家」という2つのコンセプトは大きな力になった。例えば起床・就寝時刻、自分の家なのにどうして決められた時刻に起き、寝なければならないのか。ちょっと考えただけでも、それは、施設というのはそういうものだからという先例に倣ってきただけか、或いは職員にとってそのほうが都合が良いからでしかない。遅いテレビ番組を見たいから夜更かしする、今朝はもう少し寝ていたいという、在宅生活ではごく当たり前のことは、できるだけ尊重しよう。病院のような短期、治療優先の施設ならやむを得ないかもしれないが、ここは、平均4年間暮らす生活の場なのだ。そう考えて、起床、就寝時刻は自由としたほか、朝食も起きた人から食べるようにした。入浴方法など、その他のケア方法も、前例にとらわれず、入所者主体に組み替えた。2002年に制度化された「新型特養」の認可基準は、まさに風の村のハード、ソフトをほぼそのまま文章化したものといっても言い過ぎではないだろう。2003年春には、天皇、皇后両陛下を迎えることにもなり、施設職員、関係者の鼻は、ぐんぐん伸びていったのだった。もちろん、私も例外ではなかった。課題は解決どころかより深刻さを増していることを感じつつも、高まる名声に陶酔していたことは否定できない。

 何が問題だったかと思われるだろう。根本の問題は「利用者主体」「家庭的なケア」という言葉のはき違いであった。極論すれば、一日中部屋で寝ていたいという利用者がいたらその希望をかなえるのが利用者主体だという考え方が蔓延し始め、実際にそういうケアが行われ始めた。

 2001年に、WHOが障がいの考え方を医療モデルから生活モデルに大転換し(ICF)した。生活クラブでも早くからその勉強はしていたが、その本質を特養におけるケアに適用することはできなかったのだ。障がいは、本人と周囲の環境との相互作用によって発生する発展的な概念だとする革命的な発想の転換を、現場のケアにおいてどのように生かすかを真剣に議論することができていたら、そんなケアができるはずがないのだ。風の村は、そんなふうにして、「利用者主体」を掲げながら、職員主体のケアが横行するようになっていったのだった。