2012.06.15

富山で脳死移植

 私の故郷、富山で、6歳未満の子どもから、全国初の脳死移植が行われることが報道されています。「息子が誰かの身体の一部になって長く生きてくれるのではないか。このようなことを成し遂げる息子を誇りに思う」という、ご両親のコメントに心を揺さぶられます。我が子を6歳にもならず失うことになった両親の悲しみはいかばかりか。毅然としたコメントに感動しつつ、悲しみの深さが胸を突きます。

 「脳死は人の死か」、20年前に大論争が起こりました。国は、脳死移植を推進することを目的に脳死臨調(臨時脳死及び臓器移植調査会)を設置し、2年に渡る議論を経て1992年に答申書をまとめました。それは異例の内容でした。脳死は人の死か否かをめぐって、真っ向から対立する多数意見と少数意見を併記したのです。多数意見は、脳死は人の死であるというもので、少数意見はその逆でした。少数意見をリードしたのが哲学者の梅原猛さんでした。

 多数意見を支える理念は、人を人たらしめているのは「脳」であり、脳が死んだら人の死とすべきというものであり、これは西欧近代主義の理念に通じるものです。これに対して少数派は、人は、脳のみではなく、心臓にも、他の臓器にも、さらにあらゆる部分に生命が宿っていると考えます。したがって、心臓が動いて、暖かい血が流れている人が「死んでいる」とは断じて認められないと主張したのです。これは、日本人が長い歴史の中で育んできた生命観と言って良いでしょう。自然界のあらゆるものに神が宿るというアニミズム的な価値観に通じるものです。

 脳死臨調は、脳死移植の促進のために設置されたものであることは明らかでした。ですから、結論は最初からわかっていたと言えます。梅原氏は、答申に少数意見を記載することが認められるならという条件で委員を引き受けたと言われています。結論は見えているが、「それでも脳死は人の死ではない」という主張とその根拠を世に示すために委員になったのです。

 実際、私は梅原氏の主張に感動し、私の死生観に大きな影響を与えることになりました。私がもっとも心を動かされたのは、氏が、脳死は絶対に人の死ではないとしながら、脳死移植を認めたことです。そして、それは「菩薩行」であると喝破しました。

 生きている人の臓器を摘出すれば「殺人」になります。だから脳死移植を進めたい人たちにとっては、どうしても脳死は人の死でなければならないのです。脳死臨調はそのお墨付きを得るためにできたのであり、実際、その役割を果たしました。ところが、何と梅原氏は、生きている人が自らの臓器を提供することを菩薩行として認めようと言ったのです。他の人の命を救うために自死するということです。この考え方には批判もあったようですが、私にとっては生涯忘れることができない言葉になりました。

 尊厳死の議論が進み、やがてそれは安楽死との境界をあいまいにするでしょう。自ら死を選択する自死を認める範囲が拡大しているのです。とすれば、脳死を人の死としなくても脳死移植が可能になる道をつくれるということではないでしょうか。梅原氏の死生観は、西欧近代主義思想からは決して認められないものです。

 しかし、日本人は、明治以来、特に戦後は、無批判に近代思想を受け入れ、結果として深刻なアイデンティティクライシスに陥っています。脳死をめぐる議論はその典型です。今、私たちには、借り物の思想ではなく、日本人が長く培ってきた価値観に基づいて、自立して考えることが強く求められているのです。

 今回のケースは臓器提供者が幼児であり、自らの意思で行なったこととは言えません。「菩薩行」としての移植を本人の意思によらず行うことを良しとするか、軽々に結論は出せません。しかし、ご両親の「このようなことを成し遂げる息子を誇りに思う」という痛切な言葉に、私は、ご両親と息子さんに手を合わせました。