2012.08.08

朽ちていった命(新潮文庫)

 衝撃だった。

 友人に薦められてこの本を読んだ。副題は、「被曝治療83日間の記録」、1993年9月30日に起きた日本初の臨界事故被害者、大内久さんの闘病記録である。この事故を覚えておられるだろうか

 「茨城県東海村の核燃料加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所」でその事故は起きた。この日、大内さんは転換試験棟という建物で、ステンレス製のバケツの中で溶かしたウラン溶液をヌッチェとよばれる濾過器で濾過していた。上司と同僚は濾過した溶液を「沈殿槽」という大型の容器に移し替えていた。上司はハンドホールとよばれる覗き窓のようになった穴にロートを差し込んで支え、同僚がステンレス製のビーカーでウラン溶液を流し込んだ。濾過の作業を終えた大内は上司と交代し、ロートを支える作業を受け持った。バケツで7杯目、最後のウラン溶液を同僚が流し始めたとき、大内はパシッという音とともに青い光を見た。臨界に達した時に放たれる「チェレンコフの光」だった。その瞬間、放射線の中でももっともエネルギーが大きい中性子線が大内たちの体を突き抜けた。被爆したのだった。」(P11)

 このドキュメントはここから始まる。大内さんは千葉市の放射線医学総合研究所を経て東大病院に搬送され、それから83日間に及ぶ壮絶な闘病が続いた。著者であるNHK「東海村臨界事故」取材班は、丹念に大内さんの体に起きる変化と医師、看護師の必死の治療、看護、そして家族の様子を綴る。感情を殺した冷静かつ詳細な記述が、胸に迫る。

 彼の体は、中性子線による急性被曝でめちゃめちゃに破壊されていた。そして当初は普通に会話をし、外部からは身体的にも大きなダメージがないように思えた体が、急速に衰え、皮膚が失われ、内臓が破壊され、見るも無残な様相に変化していくのだ。

 彼の83日間は、広島、長崎の数万人に及ぶ急性の放射線被曝で命を失っていった人たちと重なる。このドキュメントは、たった一人の83日間を通して、原爆の被爆と原発の被曝がまったく同じ結果をもたらすこと、それがどんなにむごい死をもたらすのかを明らかにしている。

 私はかつて、原発の仕組みを知って驚いたことがある。理科系はまったくダメな私は、「原子力」というのは非常に複雑で高度な技術だと思っていたので、発電の仕組みも素人には理解できないものなのだろうと勝手に考えていたのだが、要は、発電のための水蒸気を発生させる資源、水を沸騰させる材料を火力によるのか、原子力によるのかの違いでしかないとわかって、拍子抜けしたのだ。それだけのために、一旦暴走すれば手に負えなくなる技術を使わなければならないのだろうと、疑問、不信が高まった。

 この臨界事故も、原発が抱えるもう一つの面を浮き彫りにしている。ウラン溶液を何とバケツで濾過し、作業員が支えるロートで沈殿槽に流し込むという、およそ前近代的な作業が「原子力発電」という最先端技術の現場で行われていたのだ。原発は他のあらゆる作業現場と変わらず、人力に頼って維持されていることを、この事件は示している。あらゆる人力の現場には必ずミスが起こる。そして、他のあらゆる現場と異なり、原発の現場は、そのミスが破滅的な結果をもたらすことになるのだ。

 当然ながら、この事故が起き、ドキュメントが書かれた時、私たちは福島第1原発事故を経験していない。そして、発生後13年を経たこの事故の記憶は薄れ、風化しつつあった。しかし、今、大内さんの83日間を知ることは、我々が原発を引き続き容認するのか否かを判断するうえで、この上ない材料に思える。また、大内さんをめぐる医師、看護師、家族等の心情が、インタビューを通して生き生きと描かれており、その面でも超1級のドキュメントだ。