2012.08.24

「嘉顕の道」と「銑次の道」

 友人に薦められて「新しい左翼入門  相克の運動史は超えられるか」(講談社現代新書 松尾匡著)を読み始めています。いまさら「左翼」でもあるまいと、タイトルに違和感を持っていましたが、これがすこぶる面白い。

 彼は、日本の左翼運動の歴史を、「嘉顕の道」と「銑次の道」という対比で表現しています。これが、実に面白いので、少し長いですが引用しながら紹介します。嘉顕と銑次のことをどうしても紹介したいのには、実は訳があるのですが、それは最後に話します。引用が長いので覚悟して読んで下さい。

 ずいぶん前になりますが、NHKの大河ドラマで「獅子の時代」というのがあったことを覚えていますか。「幕末から明治初期にかけてが舞台のドラマなんですが、ここでも、遅れた体制を倒して新しい近代国家をつくろうとしてできた明治維新政府が、結局あちこちの場末に生きる人々を理不尽にふみにじっていってしまう様が描かれていました。」主人公は架空の人物で「加藤剛さん扮する薩摩藩出身の官吏、苅谷嘉顕と、菅原文太さん扮する下級会津藩士、平沼銑次の二人が主人公です。この二人が対立しつつ友情を抱き、それぞれの道を貫いていく話です。この二人の道が、世の中を変えようとする時の、典型的な二つの道を代表しているように思えるのです。」

 「嘉顕は、薩摩藩からイギリス留学に派遣され、西洋的な自由、平等、人権、国民主権といった理想に染まって帰国しました。そしてその目で日本の現状を見て、これでは駄目だと世の中を変えようとするタイプです。それで、戊辰戦争に加わり、新政府の官吏となって、封建時代に代わる新しい世の中を作るために奮闘するのですが、その正義感と理想主義のために周囲の官吏たちとの軋轢が絶えず、とうとう最後には事実上失脚して下野します。

 それに対して銑次は、会津戦争下の会津若松、箱舘戦争下の五稜郭、極寒不毛の下北半島斗南に追われた旧会津藩士、極北の樺戸監獄等々、その行く所行く所、常に理不尽に虐げられる人々の中にいっしょにいて、その抑圧に対して「このやろー!」と立ち上がるタイプです。そして最後には、困窮する秩父の農民の中にいて、農民の武装蜂起に加わります。

 日本における世の中を変えようとする運動の歴史において、この2つの道ー理想や理論を抱いて、それに合わない現状を変えようとする道と、抑圧された民衆の中に身をおいて、「このやろー!」と立ち上がる道とーは、常に両方存在し、決して相容れることなく対立し、そしてその対立はたいていは運動の自滅という形で、共倒れを持って終ってきたのです。

 「獅子の時代」では、嘉顕は、自分が新しい世の中のためというつもりで参加した会津戦争や西南戦争で、自分たちの側による犠牲者に直面して心を痛めます。そして最後は、憲法私案を書いた際に残した書き付けの一節「憲法は国民の自由自治を根本とし」が、官憲による横死後、縁者の手をたどって秩父の銑次のもとに流れ着き、武装蜂起のスローガン「自由自治元年」となって、銑次の手によって旗に書かれて大衆の前に立つというーまこと青年マルクスが「ヘーゲル法哲学批判序説」の最後に書いた、「思想の稲妻がこの素朴な国民土壌のなかまで底ぶかくはしったとき」との一節を彷彿とさせる、幸福なフィナーレとなりました。」

 そして著者はさらに以下のように続けます。「私は自分がここで言う、「嘉顕型」の性格であることを自覚しながら、そのことがもたらしかねない新たな抑圧におののき、「銑次型」にあこがれて、そうならなければならないとじたばたする青年時代を過ごしていたのでした。このドラマのフィナーレのような「総合」ができたら、自分はどんなに救われるだろうかーそう思っていました。」(引用終わり、ふう、透析中、引用本をめくりながら片手でパソコンを打つのはかなりしんどい)

 私は「獅子の時代」は視ていませんでした。すごいフィナーレですよね。ちょーかっこいい!

 実は、ほんの少し前、私は、生き残ったほうが葬儀委員長を務めようと約束している友人と、この、「嘉顕型」と「銑次型」についてメール交換していたのでした。もちろん、この本を読む前でしたから、嘉顕と銑次という具体的な例で話したわけではありません。

 私は、間違いなく嘉顕型であることを自覚しており、若い頃からコンプレックスを抱き続けてきました。彼は典型的な銑次型で生き続けてきた人で、だから私はずっと憧れてきました。しかし彼は彼で、嘉顕型である私の存在価値をずっと認めて、頼りにしてきてくれました。でも、「銑次」へのコンプレックスは今も消えることはありません。

 もう60を越えて老い先短いのですから、いまさら「銑次」を目指すことは無理だし、あきらめます。コンプレックスを抱えたまま一生を終えることになるでしょう。しかし、「嘉顕型」と「銑次型」が非和解的な対立になって運動を消滅させる時代はさすがに終わったと思います。どちらが先に死ぬことになるかは神のみぞ知るところですが、その時に、「嘉顕」と「銑次」を「総合」できたと2人で実感できることを目標に、明日からも頑張ろうと思います。