2011.07.04

被災地に行ってきました。

 昨日、被災地に行ってきました。風の村企画部の職員2名、虹の街から2名、JFSAから1名の総勢6人です。私は朝4時起床、風の村の3人は佐倉を5時に出発して、一路東北道を北進。休日なので渋滞の恐れありと懸念しましたが、まったく順調に最初の目的地、仙台の「ひなたぼっこ」に午前10時前に到着しました。特養おながわをはじめ、避難所、施設へのボランティア派遣をコーディネートしている東北関東大震災共同支援ネットワークの事務所です。12時まで、代表の池田昌弘さんの話をうかがうことができました。

 続いて、車で10分のところにある、ホームレス支援団体ワンファミリーの事務所へ。立岡理事長と1時間余り懇談させていただきました。ここは、生活クラブ風の村をはじめ虹の街、市川ガンバの会、JFSAの4者でつくった東日本大震災被災者支援ネットワークちばが、数度に渡って4トン車で運んだ支援物資の送り先です。ワンファミリーを通じて、宮城、岩手の各地に支援物資が届けられています。必要な物資の種類は刻々と変わりますが、今も物資支援は必要であり、今後も当分継続が求められるとの話し、池田昌弘さんもまったく同じことを言っておられたので、今後の私たちの物資支援のあり方について協議が必要だと感じました。

 次に向かったのは、石巻と女川の間にある「はまぐり浜」、世帯数わずか20程度の本当に小さな集落です。実は、今後、この集落への継続的な支援が予定されているのです。

 生活クラブ連合会(北海道から大阪までの30の生活クラブ生協を束ねている団体)、グリーンコープ連合(九州から関西までの地域で活動する生協、生活クラブと仲良くしている)それにホームレス支援全国ネットワークが連携して被災地の支援を行なっているのですが、今後、このはまぐり浜に集中的な支援をしていくことになったのです。そのことを知って、特養おながわに行く途中、立ち寄ってみました。小さな入り江の根本に張り付くように何十年、もしかしたら何百年もの間、人々が濃密な関係で暮らしを育んできた、わずか20世帯の小集落、牡蠣の養殖で生計を立ててきたという人々の暮らしはあとかたもなく崩壊していました。高台に建っていた数件を除いて、家はすべて津波に飲みこまれました。10世帯の人はこの地での生活再建をあきらめ、移転を決断したそうです。

 残る人たちの復興が始まろうとしていました。牡蠣の養殖を再開し、その販売を再開することで。それを上記の3者ネットワークが継続的に支援していこうというのです。何年か後に私たちの食卓に、はまぐり浜産の牡蠣が並ぶことを夢見て、案内いただいたホームレス支援全国ネットのスタッフとお別れしました。

 最後の目的地が特養おながわです。ここでは、私たちのために休日に出勤いただいた介護課長に、特養とグループホームを案内していただきました。ここは、女川市内ですが、市街地と小さな山を挟んで立地しており、この山が明暗をくっきりと分けたことがわかりました。平成18年に完成したという、平屋の素敵なユニット型特養も、昨年できたという、これも実に見事な設計のグループホームもほとんど無傷だったのです。

 最後に、その山を越えました。テレビで何度となく映し出された光景が寸分違わずそこにありました。がれきはだいぶ片付いていましたが、基礎から横倒しになった鉄筋のビルは無残な姿をさらしていますし、鼻をつく異臭が一帯を覆っています。靄が立ち込め、あくまでも穏やかな海が、何ともやるせない思いを誘います。

 震災から4カ月でようやくここを訪れることができましたが、できるなら一人でも多くの人が被災地を訪れることが必要だと、私は思います。ボランティアに来ることができれば、それが一番ですが、そうでなくても、ただ見に来るだけでも構わないと私は思います。一日あればここまで来ることができます。

 「戦後」という言葉がありますが、この国は「震災後」の国のあり方、人間の生き方を根本から組み立て直していかねばなりません。ここに来ればその出発点に立てる、そんな感慨を持って女川を後にしました。