2011.07.16

首相の脱原発会見に思う

 菅首相の脱原発会見の内容は、マスコミ各社の世論調査を通して見える国民の多数意思に沿ったものだった。これだけの重大事故に見舞われたこの国には、この選択しかないと私は思う。だから、首相の会見は評価する。

 しかし、マスコミを通して聞こえる評判は惨憺たるものだ。やめる人間が言うのは逆効果という批判は当たっているとも言えるが、脱原発の具体的な道筋を明らかにしなければ意味がないとか、党内、閣内議論がないとか。

 そもそも、このような重大な政策理念をボトムアップで作り上げることができるとは思えない。歴史的な(はずの)政権交代後、鳩山首相は、CO2の25%削減を高らかに宣言した。そこにいかなる党内議論があったというのだろうか。当時、その発言には経済界を中心に批判が渦巻いたが、多くの国民は政権交代の熱気の中でこれを支持した。むしろ、新しい政治スタイルが始まるのかとの期待をこめて。

 原発政策を解散総選挙の争点にはできないだろう。この国の政党は、それを争点にするような対立軸を持っていない。2大政党たる民主党、自民党ともに、党内に路線対立があるのであり、政党間の対立にはなりようがないのだ。社会保障と財源問題にしても同様だ。本来なら、エネルギー、環境政策、社会保障政策など主要政治課題の対立軸で政党ができていれば良いのだが、この国では、政策で政党を選択することができない。だから原発問題を争点に選挙をやっても、国民はどの政党に投票すれば良いか判断できない。

 その意味では、事故後の国民の多数意思を国の方向性に押し上げていくために、トップが方向を明確にする発言をしたことは、本来高く評価されてしかるべきだった。

 しかし、菅さんはあまりにも評価を下げ過ぎた。もう、何を言っても、それがどんな正しいことであっても、誰からも拍手を浴びることはないだろう。菅さんがかわいそうだとも思うが、自分が巻いた種だから同情には値しない。場当たり的な言動の積み重ねが、党内を含めてだれの支持も受けられなくなった要因で、政治手法以前の問題だろう。

 官房長官にまで、個人としての発言だと思うと言い放たれ、自らもそれを肯定するなど、悲劇なのか喜劇なのか、とても木戸銭を払うに値しない猿芝居だ。

 しかし、辞めろ、辞めろの大合唱をしている与野党政治家が、ポスト菅にこの国の政治を正常化できる確率も限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。おそらく、次の政権も短命だろう。あらゆる政治課題を政局に結び付ける権力闘争がおさまるとは到底思えないからだ。

 ドイツでは緑の党が大躍進し、脱原発の流れを決定づけた。この国に同様の流れを期待することは不可能だろうか。私には、日本再生の唯一の道に思えるのだが。