2011.08.31

生活クラブと私 14

 1994年度は、生活クラブ千葉にとって大きな節目の年だ。この年、老いの不安に応える「たすけあいネットワーク事業」を開始した。前回紹介したように、福祉クラブ生協方式で介護事業に取り組む方針を大転換して、生活クラブ千葉本体で事業化することにしたのだ。既に、首都圏の生活クラブ生協では、ワーカーズコレクティブによる会員制のたすけあい事業(要介護高齢者に限らず、家事援助中心に様々なニーズに応える活動)が活発に行われており、千葉にも、組合員有志による10の「たすけあいワーカーズ」が結成され、活動していた。

 東京、神奈川の生活クラブ生協は、「ワーカーズの行なうたすけあい事業を応援する」という方針だったが、千葉は、生協直営の介護事業を開始することにした。当時、そのような生協は存在せず、全国で初めて介護事業を行う生協になった。組合員3万人足らずの小さな生協が、まったくノウハウを持たない新分野に参入することは無謀だと考えた人は少なくなかったと思う。         また、当時、生活クラブの支配的な考え方は、組合員女性の働く場としてワーカーズコレクティブづくりを推進すべきというものであり、介護事業は言うに及ばず、生協本来の共同購入事業もワーカーズへ委託が進められていた。

 もちろん、千葉でもワーカーズづくりは積極的に行なわれていたのだが、その一方で、生協業務のワーカーズ委託を拡大することに対しては、私は疑問を持っていた。その理由を述べるのは別の機会に譲るが、とにかく生協直営で介護事業を始めたことは、内外に波紋を広げ、批判も少なくなかったのだ。

 それから17年、生活クラブ生協で行なってきた事業を社会福祉法人に移管してから7年、とにもかくにも拠点数で26ヶ所(多分)、事業数で60足らず、職員が1000人を越える規模の法人に成長した。一人ひとりの利用者に、そして地域で支援を必要としている人々のニーズにどこまで応えられているか、気が遠くなるほど課題は山のようにあるが、1994年を起点にここまで来られたことは「まずは、よかった」と思いたい。